104歳の聖火ランナー「現役理容師の箱石シツイさん」の元気の源は?

2021年3月28日の日曜日の夜、104歳の聖火ランナー「箱石シツイさん」が栃木県で200mの距離を歩いて、聖火を次の人に引き継ぎました。

 

テレビで特集されていて、そのしっかりした姿にびっくりし、わたしはちょっと自分が恥ずかしくなってしまいました。

 

わたし、箱石さんの半分くらいの年齢なのに、「もう歳だから」と体力や記憶力の衰えを嘆いていますので・・・

 

そんな、お元気な箱石さん、どういう方なんだろうと気になったので、調べてみました。

 

 

 

箱石シツエさんの生年月


1916年(大正5年)11月

 

箱石シツエさんのおいたちや経歴:

 

・農家の5人兄弟の4番めとして生まれた

 

・親や兄弟からはシヅエと呼ばれていたが、戸籍謄本では「シツイ」となっていた。
(届け出る方も、届け出を受ける役所の方もなまりがあったために、そういうことになってしまったようです)

 

・16歳のときに理容師を目指して上京。

「理容師としてこの道に入ったからには、どんな思いをしても1人前になって、親兄弟に安心してもらおうと思って頑張った」とのこと。

 

・22歳のときに2つ年上で同じ理容師の二郎さんと結婚

 

・東京で夫婦で店を出した

 

子供二人

 

・終戦1年前(1994年7月)、夫が戦地に。

 

・終戦の4日後、1945年8月19日、満州で終戦を知らないまま夫の二郎さんが亡くなった

箱石さんが夫の死を知ったのは8年もあととのこと。

 

・夫の死を知ったときは「希望も何もなくなった。自分が生きてるのか死んでるのかも分からない」そうです。

「子供を道連れに死んじゃえばいいと思った」とのこと。

お子さんを連れて心中しようとまで思われたそうです。

 

・その後、栃木に戻って、理容店を開業。

(東京で腕を磨いた「東下りの床屋」と評判になったそうです。ごはんを食べる暇もないほど、忙しい毎日だったそうです。)

 

・そして、今も現役で理容師をされているそうです。

(なんと、顔そりやシャンプーも全部、箱石さんがされるそうです。)

 

 

「わたしは床屋以外には能がない」と謙虚でいらっしゃるのがすごいです。

 

東京2020オリンピックにかける思い

 

1964年の東京オリンピック当時食事もできないくらい忙しかったそうです。

なので、オリンピックをみることもできなかったようです。

 

なので、今回聖火ランナーとして、参加できることは感慨もひとしおのようです。

 

栃木県那珂川町の町長から推薦されて、聖火ランナーになられました。

 

聖火ランナーに決まってからは、トーチと同じ重さ(1.2kg)の棒(上半身を鍛える筋トレ用の棒)を片手で持って家の周りで予行練習したそうです。

 

テレビでは、足に重りをつけて、上げ下げしたりされている様子がうつっていました。

 

本番の日は、雨の中、かっぱを着て歩かれる姿がうつっていましたが、聖火の点いたトーチをしっかりと片手で持って、しっかりとした足取りで歩かれていました。

 

「何もこんなときに雨がふらなくても・・・」と、テレビを見て思いましたが、箱石さん、そんなことは物ともしない風でした。

 

コロナで聖火リレーも延期になってしまいましたが、1年延びても、トーチを持って歩く練習や筋肉トレーニングは続けておられたようです。

 

3日位休んだら、また理容店を営業すると言われていました。

 

お客さんが、箱石さんに髪を切ってほしいと来てくれる限りは、理容師を続けるつもりだそうです。

 

高齢でお元気な方って、持って生まれた体ではなくて、気持ちが違う気がします。

 

 

気持ちが違うと、体がついてくるのかな〜

 

そして、仕事を続けているのが元気の源なのかなと思います。

 

箱石さんの元気なお姿や理容師として頑張っているお姿を時々、思い出して、わたしもそんな風にたくましいおばあさんになりたいと思いました。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

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