昔は母の日と言えば、贈る側でしたが、だんだんもらう側の年代に近づいてきました。
「母の日」というわけではないですが、かつて、私自身が仕事も子育ても忙しかった時に義母から、いろんな楽しかったこと(美術館めぐりや楽しかったテレビ番組)の報告メールが頻繁にきて、寝落ちしつつ返事を書くのが大変だったことを思い出します。
ここ数年では、とても暗い声で、「わたし、ほとほと料理をするのが嫌になったの」と何度も電話があったことも思い出します。
(たぶん、認知症の初期症状だったんだと思います。)
義母は昨年、老人ホームに入りました。
認知症が進んできて、鍋を焦がすことが多くなったり、ボケたことを行って、義父をいらだたせることが多くなってきたからです。
電話があるときは、何かあったときなので、着信に気づくと身構えてしまいます。
でも、何かあっても、前ほどは気にせずにいられるようになりました。
年をとるって、そういう意味ではいいですね。
母の日には夫兄弟が義母に合同で花を贈りましたが、電話もしてみようかと思っていました。
でも、午前にお礼の電話が夫にあったそうです。
お花に添えてくれた手紙(義兄が書いてくれた)を見たら、夫兄弟の名前だけで、その配偶者の名前はなかったから、まあ、夫にお礼をいうよね・・・そうか〜
「母の日、どうする?」と夫に声をかけたのは、わたしなんだけど・・・
と思って、ちょっと複雑で、なんとなく、電話する気も失せてしまったし、電話しなくてもいいか!となりました。
義母は目に見えることのみが、現実と思っているようですが、見えないところで嫁が声をかけていたり、準備していたりすることもあります。(今回は声掛けだけですが)
「それ、わたしが準備したんですよ!!」と言ったことはありませんが・・・
自分が姑になったとき、どういう姑になるのかな、良く思われたいという気持ちは結構ありますが、育った環境が違うから、難しいかな。
姑には、子育て中にもご飯に呼んでもらったりして、大変お世話になりましたが、わたしは「外食のほうが片付けなくていいんだけど・・・」などと、ちょっと思ったりもしました。
自分が今、子供家族を食事に招くということを考えたら、大変ですけどね。
そして、義母は料理上手だったので、夫や子供は嬉しかったと思います。
でも、仕事と育児で自分の時間がなかったので、正月の予定とかをどんどん入れてくる姑に、ちょっと不満はありました。(わたし、正月は自分の実家にも帰りたいんだけど・・・でも、みんなが帰省してくるときに、こちらを留守にするのも・・・)
休日は休みたいし・・・
まあ、でも、今となっては、結構、強引だったからこそ、いろいろな経験もできたし、いい思い出もたくさんできました。
子どもたちも、楽しく過ごさせてもらいました。
(わたしは、インドア派で、特に趣味もないので、義母が近くにいなかったら、ただただ変わり映えのしない毎日だったかなと思います。)
母の日なので、義母のことを書いてみました。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!