森元総理の今回の発現による辞任と東京オリンピックのコンセプトから自分自身、反省したことと未来への希望

今回の森元総理の「女性は話が長いから〜」という発言について

 

今回の森元総理の「女性は〜」という発言がなぜ、これほどまでにピックアップされたのか?

 

これについて、わたしは、「女性は〜」と、ひとくくりにすることがいけなかったのかなと最初、思いました。

(ポイントは、そこではなかったようです・・・
わたしだったら、「女性にも、色んな人がいるんだから、ひとくくりにしないで!」と言いたいところですが・・・)

 

自分自身も、振り返ってみれば、そういう言い方を、してしまったことがあると思います。

 

男の人って、そういうところがあるよね」とか、

(血液型)B型だから、仕方ない」とか、

高齢者って、頭が古い」とか、

「最近の若者は・・・」とか、

 

全員がそうであるわけではないのに、その分類の人達がみな、そうであるかのような言い方はしてはいけないなとは思っています。

 



女性蔑視発言だった?

森元総理の発言を聞いて、わたしは「女性蔑視」発言だったとは思いませんでした。

 

ただ、女性が多いと会議が長引くのが(ちょっと困るから、女性は少ないほうがいい)という意味には感じられなくもない。

 

森元総理が出席された過去の会議が往々にして、そういうことが多かったということなんでしょう。

 

そして、それが本当の実感なんでしょう。



 

2020年東京オリンピックの大会ビジョンの基本コンセプト

 

2020年東京オリンピックの大会ビジョンでは、基本コンセプトが以下の通りの3つありました。

・全員が自己ベスト
・多様性と調和
・未来への継承

基本コンセプトの一つ「多様性と調和」について

 

 

2020年東京オリンピックの公式ホームページには、3つの基本コンセプトの内のひとつ、「多様性と調和」の説明として、以下の通り、書かれています。

 

人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。

東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする。

 

今回の森元総理の発言は、違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認めあうということに反していたんですね。

 

本音を言って、何が悪いのか?という気がしないでもなかったですが・・・

 

差別されて、初めて気づく「多様性と調和」の重要性

 

ヒトは一人として、同じ人がいないわけで、どんなヒトも他のヒトと違うわけです。

 

時として、昔ながらのメジャーというか優位な分類の人たちによる、そうでない人たちへの差別は未だにあります。

 

「昔ながら」ということでなくても、最近では、「コロナにかかった人」への差別などもありますよね。

 

「老害」と言われることが差別だとしたら、長生きすることで、誰しも差別される可能性を持っているわけです。

 

今、差別されるような立場でない方も自分が差別されたら、どんなに嫌な思いをするだろう、それを想像して、

 

「自分がされて嫌なことは、人にもしない」ということを大事にしたいです。

 

自分の生きて生活してきた中でしか、想像力は働きにくいとは思いますが・・・

 



まとめ

日々、暮らしている中で、「多様性と調和」を否定するような言動を見聞きすることは、ありますよね。

 

でも、そういう時、その人に、「今は『多様性と調和』の時代なんですよ」と言っても、分かってもらえないような気がして、わたしは、面と向かっては言ってません。

 

また、年を重ねるごとに、荒波をたてずに、ちょっと疑問に思っても、スルーして、生活するということも増えてきました。

 

今回、森元総理の発言をめぐる報道を見聞きして、なんとなくモヤモヤと言葉に表現するのが難しい気持ちがありました。

 

そこまで、森元総理を非難しなくても、いいんじゃないか・・・

悪気は全くないと感じられるし・・・

森元総理は、一生懸命、大会が良くなるように頑張っていたことが伝わってくる

(会長辞任の挨拶から、会長を辞任しても、オリンピックに尽力していただけるように感じました)

 

わたしだったら、森元総理の発言に対して、スルーするかもしれない。

 

自分自身を振り返ってみれば、悪気はないけど、森元総理と同じようなことを言ってしまっているときがあるなあとも思わされました。

 

それが、言った相手に対して、不快感を与えていたかもしれないなあと、あらためて、思い起こされました。

 

これからは自分と違う人や違う考え方に対して、違いを肯定して受け入れる方がいいのかもしれない、(受け入れないまでも、攻撃や否定はしない)

 

今回、はからずも、森元総理の発言によって、TOKYOオリンピックのコンセプトのひとつである「多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会を育む契機となるような大会」になったのではないか、と思いました。

 

すくなくとも私自身には、その契機となりました。

 

この程度の発言で(とわたしは思ってしまいましたが)、森元総理が辞任に追い込まれるような社会になったことは、社会の物凄い進歩だなと思いました。

 

 

ただ、これがただの挙げ足取り失言への中傷だけに終わることになってはいけないと思います。

 

これが、オリンピックのコンセプトだけにとどまらず、全世界のあらゆる分野で実行されることになったら、すごいですね。

 

この夏のオリンピックが開催できるのか、延期になるのか、不安要素はたくさんありますし、その準備に尽力されている方々は、とても大変だなと想像します。

 

とかく、オリンピックによる経済効果や各選手の成績などが取り上げられがちですが、

 

オリンピックの準備に付随した様々なトラブルをどう解決していったか

 

または解決できないまでも、どのように取りくんでいったかは、

 

未来のわたしたちに勇気とエネルギーを与えてくれるような気がします。

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